さいべでおます

ミルク金時「中学校から近かったんで、よく食べましたよ。最後まで食べられますかな。」気を遣っていただいたのですが、「いやあ、ぜひともお願いします。」と大きなミルク金時を食べに連れてきていただきました。

建物内は昭和のにおいを残しています。冷房は無し、木枠の窓はすべてオープン。暑い土地のせいでしょう、年がら年中かき氷をやっているそうです。

「これもおいしいですよ。」とひとり1個ずつの太鼓まんじゅう、発注したミルク金時ができる間に食べてしまいました。店内には我々も含めて3つほどのグループがはいり、でかいかき氷を2人で分け合って挑戦している人もいました。砕かれた氷ではなく、かんなのような刃で削り取った昔ながらの、ほわっと積み上がった円錐はくずれやすそうですが、自分でも珍しいと思うほど最新の注意を払ってそおーっとスプーンをつっこみます。私は冷たい物には目がないため、はしたなくも3人のなかでもっとも早く平らげました。

BGMもなく、だれひとり大声ではしゃぐわけでもなく、また、お店の方の声も聞こえず、われわれの前にほとんど登場しないのは、けっして愛想が悪いのではなくて、恥ずかしがり屋でひかえめな商売人なのでしょう、居心地の良い静けさでした。老舗と呼ばれるお店にありがちなおしつけがましさを全く感じませんでした。メニューは数種類のかき氷と太鼓まんじゅうですが、50年近く営々と経営されているようです。室内は古いですが、しっかりとした整頓と清潔感が保たれて、ここちよい程度のざっくばらんさです。

商売がビジネスと呼ばれるようになってから、大きさ、利益、客数を競うようになっております。社会のためにとか、企業は社会の公器であるとか、マスコミ上において、どうかすれば商売人か教育者か寺の住職かわからないほど、教育論、経営論を語られる方も出る始末です。結果的に社会のためになりそれはそれで良いと思うのですが、大きい方がエライ、利益を上げる方がエライ、お客さんの数が多い方がエライ、偉くなることを目指してどんどん難しくなっております。

こうした肩のこるような目標もその企業のためには良いのかもしれませんが、自分が客の立場になったとき、客がまるでその店の目標のために駆り出されていると感じるお店がちょっと多くなってきて面倒くさい気配を感じるときがあります。アイスをほおばるときにそういうことをまるで感じさせない、さりげなさ、店のたたずまい、食べ終わったとき、体も心も涼しおましたなあ。満足度は100%以上でした。